Izu Peninsula, Japan 2021 (Print Size: 20 in x 25 in / 51 cm x 64 cm) 世界の経済活動に大打撃を与えている 新型コロナウイルスの危険な状況から抜け出る日が待ち遠しい。
しかし、車や工場や航空機の排気ガスが減ったおかげか、深呼吸すると冷たい冬の空気は澄んで美味しく、晴れた日には、空から降り注ぐ陽の光がキラキラと輝いている。日本でこのような美しい光を感じたことは今までなかったのではないか・・・。思わず聖書の「創世記」にある言葉が頭に浮かんだ。 初めに神は天と地を創造された。 地には形なく、空虚だった。闇が深遠の上にあった。神の心が水の上を動いた。 神が言われた、「光あれ」 そして光があった。 神は光を見て、良しとされた。神は光を闇から分けた。 神は光を昼と呼び、闇を夜と名付けた。晩と朝、最初の一日であった。 (上の画像をクリックすると、スライドショーがご覧になれます。) The impact of COVID-19 has been devastating to global economic activity. However, when you take a deep breath the cold winter air is clear and delicious, and on a clear day, the sunlight coming down from the sky is shining, probably because the exhaust gas from cars, factories and aircraft has decreased. I have never felt such a beautiful light in Japan in my life. I am not a Christian, but the word from "Genesis" in the Bible came to my mind: In the beginning God created the heaven and the earth. And the earth was without form, and void; and darkness was upon the face of the deep. And the Spirit of God moved upon the face of the waters. And God said, Let there be light: and there was light. And God saw the light, that it was good: and God divided the light from the darkness. And God called the light Day, and the darkness he called Night. And the evening and the morning were the first day. (Please click the above image to see the slide show.) White Sands, New Mexico, USA 2017 (24in x 70in / 61 cm x 177 cm) 太陽が地平線に沈んで、闇が砂漠を静かに包み始めると撮影は終わる。一息ついてから、水筒に残った水を飲みほす。 機材をバックパックに収め、はるか遠くに停めた車に向かう。ずっしり重いカメラ機材と三脚を担いで一日中歩き回ったので、集中力と体力の限界を感じる。砂漠のうねりを感じながらぼーっと歩いていると、目の隅にちらっと何かが映る。振り向くと、「お待ちしておりました、私を撮ってください!」と言わんばかりの光景がそこに展開している。「旅で求めていた出会いはこれ、これなのだ!」。それからは、無我夢中で残光の中での撮影作業に入る・・・。 私が気に入っている作品の数々は余計なことを一切考えていない時に撮影されたものが多い。自分の心に響く光景が見える瞬間は、なぜか、意識が朦朧としていて集中力が弱まっている場合が多い。逆に、意識レベルが高い時に撮影した多くの写真には魅力を感じない。先月、『旅は日常の理性の枠から自分を解放してくれる』ということを書いたが、待ち望んでいた被写体との出会いは、自分の中で眠っていた感性が意識の低下とともに解き放たれることと深く関係しているように思う。感性で捉え、理性で絞り込む。私の作品は感性と理性の相互作用から生まれているようだ。 Shooting ends when the sun sets on the horizon and the darkness begins to quietly fill the desert. After taking a deep breath, I drink up the water remaining in the water bottle. I put the camera equipment in a backpack and head for a car parked far away. As I walked around the desert all day carrying the heavy equipment and the tripod, I feel the limits of my concentration and physical strength. As I walk a while feeling the ups and downs of the desert, I catch something in the corner of my eyes. When I turn my head to see it, there it is: the scene that just says, "I've been waiting for you. Please photograph me now!" This is "the" encounter I have been looking for! After that, I am absorbed in shooting in the afterglow ... Many of my favorite works were shot when I was not thinking about anything. When I capture a scene that resonates with me, my consciousness is often stunned and my concentration is weakened. On the contrary, many photographs taken when the level of consciousness is high are often not attractive to me. Last month, I wrote that "travel frees me from everyday reasoning". The long-awaited encounter with the subject of my interest seems to be deeply related to the mind state when the sensibility inside me is released as consciousness declines. Capturing the subject of interest with sensibility and focusing down by reasoning: all my work seems to be born from the interaction between sensibility and reasoning. Life with Colors, Havana, Cuba 2018 (Print Size: 20 in x 20 in / 51 cm x 51 cm) 革命後のキューバは主要な貿易先を失い経済発展が遅れた。食料や日用品は悲しいほどに乏しく、廃墟のような歴史的な建物に暮らし、主要な交通手段は今でも徒歩と馬車での生活だ。しかし、不思議なことにキューバでは見るものすべてが輝いて見える。陽光が燦々と降り注ぐ海、南国の風にそよぐ植物、鮮やかなパステルカラーの古い建物や自動車、街の至る所で聞こえる音楽とそれに合わせて楽しく踊る人々 - そこからは貧しさに伴う惨めさや治安の不安を感じない。教育は大学まで無料。医療も無料。経済格差のないこの社会主義国では楽観的な国民性に加え、優しさと思いやり、音楽・ダンス・アートを愛する心がモノやカネに代わって人々の心のよりどころになっているようにも思える。 In my trip to Cuba two years ago , I was able to see the lifestyle and nature of the beautiful country. After the revolution, the economic development has remained slow with constant shortage of commodities and food. Main means of transportation is still on foot and by horse-drawn carriage. Strangely, however, I did not feel the misery and insecurity often found with poverty. Education is free to the university, and medical treatment is also free. In a socialist country without economic disparity, art and music seemed to play an important role to sustain their life. I saw people living optimistically, gently and lively surrounded by old historical buildings painted in beautiful pastel colors. Hemmingway's Garden, Havana, Cuba 2018 (Print Size: 30 in x 37.5 in / 76 cm x 95 cm) 写真によるアート表現には音楽と共通したものを感じる。 そして、アンセル・アダムスの名言にも共感する。 「写真は撮るものではない、作るものだ」 「ネガは楽譜であり、プリントは演奏である」 作品制作をしていて思うことは、音楽になる素材は身の周りのありとあらゆる場所に存在していて、それを感じた時にシャッターを押しているという事。写真を「撮る」ということは、自然界に描かれたリズム・メロディー・ハーモニーに耳を傾け、それをスケッチすること。スケッチは「現像」すると初めて楽譜(原画)になる。そして、書かれた楽譜を読み取りながら演奏するのが「プリント作り」だ。だから、写真家は作曲家であり演奏家でもある。 「写真は人間が表現しようとしたもの以上のものは表現できないということです。 そして、この媒体がもつ可能性を最大限に生かしきれた人間はいまだかつていないということです」 アダムスの言葉は写真によるアート表現の面白さとその可能性を物語る。 Art expression with photography is similar to music. Ansel Adams's saying resonates with my feeling of artwork creation: “You don't take a photograph, you make it.” "The negative is comparable to the composer's score and the print to its performance." What I think recently is that music exists everywhere in the real world around us, and when I feel it, I press the shutter. To "take a picture" is to listen to the rhythm, melody, and harmony of nature and write it down in the score with a camera. Printmaking involves interpreting the written score and playing music of my own. The photographer is both a composer and a performer. “We must remember that a photograph can hold just as much as we put into it, and no one has ever approached the full possibilities of the medium.” Adams' words get to the heart of artistic expression of photography. Echinacea, Kawasaki, Japan 2020 (Print Size: 16 in x 24 in / 41 cm x 61 cm) Backyard, Kawasaki, Japan 2020 (Print Size: 16 in x 24 in / 41 cm x 61 cm) 例年は定期的に海外に出向いて作品づくりのための撮影をしていたが、今年の春以降はパンデミックのおかげでそのようなことが出来ていない。しかし、その替わりに、楽器に触れて音楽に親しむ時間ができたり、今後の作品づくりについて根本から見直す余裕が出てきている。コロナ禍の影響で外出することが少なくなったことが、昨年まで忙しく走り続けてきた私のライフスタイルを「あるべき姿」に変化させているようだと感じる。海外の宇宙スケールの大自然から、自分の足元に見える動植物の小さな生命活動に目を移すと、これはこれでまた素晴らしい宇宙の地平が展開しているのを発見する。そのような小さな被写体にカメラを向けると、小学生の頃、虫眼鏡で昆虫や草花を覗いたワクワク感が蘇ってくる。子供の頃、虫眼鏡や天体望遠鏡を覗いて目を丸くしたことが今の写真生活に繋がっているのかもしれない。どうも私は今でも「写真という虫眼鏡」で身の周りの世界を覗き見て、その不思議な光景にワクワクしているようなのだ。 In previous years, I used to go abroad regularly to take photographs to make artworks; but since this spring, I have not been able to do so due to the COVID-19 pandemic. However, instead, the pandemic has given me valuable time to restart practicing flute music as well as to reconsider my future photographic themes and projects. The impact of the COVID-19 crisis has given me opportunity to change my lifestyle to what it should be, heading toward the future. As I shift my attention from the cosmic scale nature to the tiny life activities of plants and insects around me, I discover yet another wonderful cosmic horizon unfolding. When I point my camera around my feet, I can recall the thrill of looking at insects and flowers with a magnifying glass when I was in elementary school. Maybe, my childhood experience of looking through a magnifying glass and an astronomical telescope had led me to my current life in photography, for I am still thrilled by looking into the wonderful world through the magnifying glass called photography. 新型コロナウイルスの騒ぎの中、今年もこの百合が静かに咲きだした。
This lily has quietly started to bloom again this year amid the turmoil of the COVID-19. 11月14日は月が地球に接近する SUPERMOON が見られるとの事で楽しみにしていたが、その日はあいにくの雨。しかし、15日には雨が上がって夜空には "ALMOST" SUPERMOON 。 展覧会に出展した作品の運搬と片付けに伊豆のアトリエに移動する途中、熱海を過ぎて錦ヶ浦を出たところで海上の雲から顔を出した。暗い夜空に浮かぶ月をまじまじと見るのは久しぶり。大切なことを忘れていたことに気がついた。
I was lucky to see the 'ALMOST' SUPERMOON on the way to my studio in Izu on 11/15. After taking this photograph, I realized that I had not been looking at the night sky for a long time. 旅の最終日は二ースのシャガール美術館を訪れた。展示されていた大きなサイズの作品はどれも幻想的、民族的、宗教的で、ユダヤ人として受けた迫害を人間愛と宗教で乗り越えてきた人生観がひしひしと伝わってきた。美しい自然、美しい街、美味しい食べ物、美的な感覚に囲まれた生活。フランスの旅は今まで味わったことのない価値観を感じた印象だった。
エクサンプロバンスからマルセイユへ降りてコルシカ島へ渡り、島の険しい山々を横断した後、コート・ダジュールが今回の旅の終点。多くのアーティスト達がこの場所の光にを魅了されるわけがよくわかった。確かにここの光は他では見たことのない格別な美しさだ。
南仏エクサンプロバンスの丘にあるセザンヌのアトリエを訪れた。木漏れ日が美しい林の中にあるアトリエは、北側に巨大な窓をつくり南側の窓は小さめにして、一日中フラットな光が入るように設計されている。彼の静物画に描かれた小瓶や果物がいろいろ並んでいて、100年以上前に彼が見た光を直接感じられたのは貴重な経験だった。アトリエをでてから彼が頻繁に通った近くの丘に登ってサント・ヴィクトワール山を見た。興味深かったのは、山は思っていたより遠くにあり、彼が中望遠レンズの視角で風景を見て絵を描いていたということだ。夜はセザンヌが好んで通ったカフェ「レ・ドゥ・ギャルソン」で食事をした。この国では生活行動や空間全体が高いレベルのアート感覚に支えられているように感じる。
中央アルプスの駒ケ岳は私の生まれ故郷の山。小学校の頃登った記憶に誘われて、今回この山に登ってみた。今はロープウェーがあるので登山は以前よりずっと楽になったが、私には今回の登山はかなりきつかった。難所の八丁坂を登り切って山小屋に向かう比較的平坦な場所でも空気が薄いので呼吸はハアハア、脈拍数がタッタッタッといつまでたっても下がらない。軽い高山病にかかり、頭痛がして気分が悪い。歩きながら「来るんじゃなかった」と思わずつぶやいた。しかし、山小屋に着いて一休みして外にでたら、この気持ちはすぐに「来て良かった!」に変わった。目の前で行われる雲と光の美しいショーは日没まで続いた。山小屋の朝は早い。朝3時に起きて外へ出たら眼下には月の光に照らされて雲海が静かに眠っていた。朝日が昇ると同時に雲海がザワザワと動き出して地球生命のエンジンが動き始める。太陽と共にある生命活動を見ながら下山する足取りは軽く、高山病は麓に着いたらケロッと治ってしまった。
60年以上前にこの山に登ったことが、今私が大自然をテーマにした作品づくりをしていることに繋がっていると確信した記念すべき経験だった。 I was born and raised in a small village at the foot of this high mountain, Mt. Kisokomagatake, in Japan. 昨日6月20日はストロベリームーン(6月の満月)と夏至が重なった。
珍しいことで、前回は1967年だったそうだ(写真は作者不明ウエブ画像を拝借)。 偶然にも、ちょうどその日は僕の誕生日でもあった。 歳のことは普段あまり気にしていないが、お友達が送ってくださった沢山の誕生祝いのメッセージやメールを読んでいたら、70歳の大台に乗った実感がじわじわと沸いてきた。 3月と5月に連続して開催した個展を通じてよくわかったのは、ここ数年間の作品は懐古色が強くなってきていたということ。有難いことに、個展が終わってゆっくり休んだら、体も気力も元気になってきた。前進あるのみ。70歳になった心境は、また新しいスタートラインに立っているという感覚。 Strawberry moon coincided with Summer Solstice this year for first time since 1967. June 20th was my birthday. I am happy to be 70. I am now standing at a new starting line. 伊豆高原アートフェスティバルも無事終了し、疲れを休めていたらもう6月。梅雨に入る前の夏の爽やかな陽気に、庭の花々が一斉に咲きだした。
7月初旬に出かける撮影旅行の計画がほぼ固まった。いつもの事ながら、ルート選びにはかなり迷った。今回はサンタフェを起点として南下。メキシコとの国境沿いにアリゾナを経由してカリフォルニアへ向かうルート。3年ほど前にシアトルからサンタフェへ向かった旅とほぼ逆向のルートだが、時間に余裕をもって撮影したいので、今度はサンフランシスコが終点だ。 Before the rainy season starts, the flowers began to bloom all at once. I just finished making the plan for my shooting trip to USA next month. I will take the southern border route starting from Santa Fe, New Mexico to San Francisco, California through Arizona. 昨晩、風雨が台風のように吹き荒れたあと、今朝は初夏の陽射で素晴らしい一日が始まった。
毎年お越しになる方、会期中にお友達を連れて何度もいらしてくださる方、写真を始めたばかりの若い方など、沢山の熱心なお客様方と今日は一日中会話した。頭が少し疲れたので、夕方、運動がてら海を見にでかけた。波のうねりが美しい一日の終わりを運んできた。 A stormy weather had gone last night, and a summer-like beautiful day started this morning. I went to see the ocean at sunset after talking with many visitors all day long. It was a beautiful end of the day. |
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