写真と音楽についての記事が昨年秋にムラマツフルートの季刊誌に掲載された。画像をクリックすると画像が拡大されます。
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RETROSPECTIVE 今回の展覧会では、40年前から現在までの作品21点を展示しています。 40年前、大学を出て間もない頃は、カリフォルニアにあるヨセミテの自然の美しさに魅了されていました。40代の頃はニューヨークのセントラルパークによくでかけました。10年ほど前にはニューメキシコのサンタフェに住みながら砂漠地帯の撮影をし、ここ3年はオレゴンやカリフォルニアでの撮影が多くなってきています。 候補となる作品を整理しながら自分の表現が変化してきた道筋を俯瞰すると、私の写真活動が独自の「美の探究」に向かっていると思います。写真表現は音楽家が楽器を使って曲を演奏するのに似ています。次はどんな曲をどのように演奏したいのか。私の求める「美」はどこに向かっているのか。美の探究への興味は尽きません。 I have selected 21 pieces of works from the photographs I created in the last 40 years. Soon after graduating from collage in California, 40 years ago, I was attracted to the beauty of Yosemite in Sierra Nevada. In my 40s, I often visited Central Park in New York to take photographs. After moving to Santa Fe, New Mexico, from New York, 13 years ago, desert scenes in the South West became the subjects I focused. In the past three years, I have frequently visited Oregon and California. Through the process of work selection for this show, it became clear to me that my photography had been moving towards QUEST FOR BEAUTY. For me, expression in photography is similar to musicians playing music with their instruments. What is the music I want to play next; how do I want to play it? In which direction is the quest of beauty heading? |
My next solo show will start on Sunday, 5/1, at my studio in Izu, and I am now in the process of finalizing the selection of the works for the show. Since this is a compilation show of my past works, I am getting a good opportunity to learn how my works evolved up to present and think about next step.
5月1日から始まる伊豆高原アートフェスティバル参加展の準備を進めている。3月に三島で催行した個展と共に、今までの作品をまとめるコンピレーション展にしたいと思い、タイトルを「RETROSPECTIVE」とした。3月のものとは内容に変化を持たせたいので今まで試行錯誤していたが、ようやくその骨格が見えてきた。アトリエでの展示とさんしんギャラリーのようなホワイトキューブでの展示と違うのは、この壁面は黒色だからこの作品、この小さなコーナーにはこの作品というように、作品の内容やサイズ選びが展示される空間の形や色にかなり影響されるところだ。その上に個々の作品と作品グループ、そして展示全体を関連づけて、印象やメッセージ性の流れを考えながら展示レイアウトを作り出していく。これは時間がかかり苦労するところだが、クリエイティブなプロセスなのでとても面白い。コンピレーション展は作品群を眺めながら自分の表現が変化してきた道筋を俯瞰できるので、今後の作品づくりの参考になる。今回の展覧会も多くの方々に楽しんでいただけるようなものにしたい。
5月1日から始まる伊豆高原アートフェスティバル参加展の準備を進めている。3月に三島で催行した個展と共に、今までの作品をまとめるコンピレーション展にしたいと思い、タイトルを「RETROSPECTIVE」とした。3月のものとは内容に変化を持たせたいので今まで試行錯誤していたが、ようやくその骨格が見えてきた。アトリエでの展示とさんしんギャラリーのようなホワイトキューブでの展示と違うのは、この壁面は黒色だからこの作品、この小さなコーナーにはこの作品というように、作品の内容やサイズ選びが展示される空間の形や色にかなり影響されるところだ。その上に個々の作品と作品グループ、そして展示全体を関連づけて、印象やメッセージ性の流れを考えながら展示レイアウトを作り出していく。これは時間がかかり苦労するところだが、クリエイティブなプロセスなのでとても面白い。コンピレーション展は作品群を眺めながら自分の表現が変化してきた道筋を俯瞰できるので、今後の作品づくりの参考になる。今回の展覧会も多くの方々に楽しんでいただけるようなものにしたい。
I will be exhibiting a few new prints processed from old negative films.
Since the prints are my current interpretation of the 40 year old images, the whole process makes me feel like going back to the past on my time machine.
さんしんギャラリー 善 での展覧会が終って一息ついたら、もう伊豆高原アートフェスティバルが5月1日から始まるから忙しい。今回展示する作品は3月に展示しなかった内容も少し含めてみたいと思い、かなり昔のネガを探していたら、カリフォルニアのヨセミテで40年前(1976年)に撮影したものが出てきた。あまりにも昔のネガなのでフィルムが弱々しく、恐る恐るスキャンしてみたが、結果を見て驚いた。レンズはシャープではないが、諧調性が軟調でとても良い。当時はローライフレックスとゼンザブロニカを使っていたが、ネガの横に遮光版の光線漏れが見られるので、どうもブロニカで撮影したものらしい。あの頃はアンセルアダムスの表現を追いかけていた事を思い出す。今回展示する作品は過去のネガを現在の私が解釈して制作したものなので、画像調整をしているとタイムマシンに乗って時間を戻っていく感じがしてくる。もう一つ選んだ1990年代後半に撮影されたニューヨークのスナップからは、フィルムの粒状性が20年くらいの間に飛躍的に変化したことがよく分かる。ニューヨーク時代はローライフレックス(2眼)を中心に街の撮影していたが、ランドスケープには4x5や8x10の大判カメラもこの頃から使い始めている。デジタルによるモノクロームプリントを真剣に追求し始めたのもこの頃だ。2000年代に入ってサンタフェに移住してからは、大自然のサイズに圧倒されて大判フィルムカメラでの撮影が中心となった。最近はランドスケープには大判フィルムの代わりにデジタルバックを使い始めている。デジタル画像は、フィルムとは異なる現代的な表現ができるということがわかってきて興味深々だ。しかし、こうして昔撮影された画像を眺めてみると、時間をかけて感性が蓄積されたフィルム技術の味も大変心地よい。
今の写真環境は撮影から最終画像づくりまでの時間が短縮され、毎日大量の写真が目の前を流れていく。消費材としての写真づくりが膨らんでいくなかで、作家が一枚のイメージととことん向き合って感性を封じ込めて作り上げる作品は今まで以上に大切なものになってきているのではないだろうか。
Since the prints are my current interpretation of the 40 year old images, the whole process makes me feel like going back to the past on my time machine.
さんしんギャラリー 善 での展覧会が終って一息ついたら、もう伊豆高原アートフェスティバルが5月1日から始まるから忙しい。今回展示する作品は3月に展示しなかった内容も少し含めてみたいと思い、かなり昔のネガを探していたら、カリフォルニアのヨセミテで40年前(1976年)に撮影したものが出てきた。あまりにも昔のネガなのでフィルムが弱々しく、恐る恐るスキャンしてみたが、結果を見て驚いた。レンズはシャープではないが、諧調性が軟調でとても良い。当時はローライフレックスとゼンザブロニカを使っていたが、ネガの横に遮光版の光線漏れが見られるので、どうもブロニカで撮影したものらしい。あの頃はアンセルアダムスの表現を追いかけていた事を思い出す。今回展示する作品は過去のネガを現在の私が解釈して制作したものなので、画像調整をしているとタイムマシンに乗って時間を戻っていく感じがしてくる。もう一つ選んだ1990年代後半に撮影されたニューヨークのスナップからは、フィルムの粒状性が20年くらいの間に飛躍的に変化したことがよく分かる。ニューヨーク時代はローライフレックス(2眼)を中心に街の撮影していたが、ランドスケープには4x5や8x10の大判カメラもこの頃から使い始めている。デジタルによるモノクロームプリントを真剣に追求し始めたのもこの頃だ。2000年代に入ってサンタフェに移住してからは、大自然のサイズに圧倒されて大判フィルムカメラでの撮影が中心となった。最近はランドスケープには大判フィルムの代わりにデジタルバックを使い始めている。デジタル画像は、フィルムとは異なる現代的な表現ができるということがわかってきて興味深々だ。しかし、こうして昔撮影された画像を眺めてみると、時間をかけて感性が蓄積されたフィルム技術の味も大変心地よい。
今の写真環境は撮影から最終画像づくりまでの時間が短縮され、毎日大量の写真が目の前を流れていく。消費材としての写真づくりが膨らんでいくなかで、作家が一枚のイメージととことん向き合って感性を封じ込めて作り上げる作品は今まで以上に大切なものになってきているのではないだろうか。
My solo show at Sanshin Gallery Zen is now over. It was the most memorable show I have ever experienced among all. I would like to thank you all who came to see the show.
さんしんギャラリー 善での25日間の会期はあっという間に一昨日終了した。
歳を重ねるごとに時が経つのが加速するのは確かだが、今回そう感じるのはお越しいただいた方々との心の交流の密度が高かったおかげだと感じる。
展覧会の開催は作品制作や準備、計画、打ち合わせ、搬入、搬出、そして会期中のお客様との対応など、体力や忍耐力がいることが多い。しかし、今回の展覧会はこの15年間の一つの節目としてまとめた作品の展示だったこともあり、「充実した楽い時間だった」という印象だけが残った。作品づくりと展覧会を繰り返し行っていると、その行為の最も大切な部分が浮き彫りになってくる。それは作家ごとにそれぞれ異なるのかも知れないが、私の場合、自分の感覚(エネルギー)が作品を通じて見ているお客様に伝わって共鳴している実感のように思う。
このすばらしい空間を今回提供し展示を支援してくださった三島信用金庫の関係者の皆様と佐野美術館の関係者の皆様、そして準備段階からギャラリー運営まで毎日お世話になった学芸員の皆様に感謝感謝感謝!質の高い美術展示活動を通じて地域文化に貢献していくというギャラリー設立理念の流れのなかで過ごした貴重な25日間だった。
さんしんギャラリー 善での25日間の会期はあっという間に一昨日終了した。
歳を重ねるごとに時が経つのが加速するのは確かだが、今回そう感じるのはお越しいただいた方々との心の交流の密度が高かったおかげだと感じる。
展覧会の開催は作品制作や準備、計画、打ち合わせ、搬入、搬出、そして会期中のお客様との対応など、体力や忍耐力がいることが多い。しかし、今回の展覧会はこの15年間の一つの節目としてまとめた作品の展示だったこともあり、「充実した楽い時間だった」という印象だけが残った。作品づくりと展覧会を繰り返し行っていると、その行為の最も大切な部分が浮き彫りになってくる。それは作家ごとにそれぞれ異なるのかも知れないが、私の場合、自分の感覚(エネルギー)が作品を通じて見ているお客様に伝わって共鳴している実感のように思う。
このすばらしい空間を今回提供し展示を支援してくださった三島信用金庫の関係者の皆様と佐野美術館の関係者の皆様、そして準備段階からギャラリー運営まで毎日お世話になった学芸員の皆様に感謝感謝感謝!質の高い美術展示活動を通じて地域文化に貢献していくというギャラリー設立理念の流れのなかで過ごした貴重な25日間だった。
三島のさんしんギャラリー善は市内にある佐野美術館がすべての運営を任されている。そのため、来訪されるお客様方は美術を日常の生活のなかで楽しんでおられる方々がほとんどで、いろいろお話していると、本質を瞬時に見極める鋭い審美眼を持っていることに驚かされる。しかし、そのような方々でもファインアート・フォトグラフィーを鑑賞した経験はほとんどなく、アートとしての写真を広げる努力がもっともっと必要だということを痛切に感じている。
今回の会期中に毎日のように繰り返される質問とコメントを書き留めておく。
欧米と異なる日本での歴史から、FINE ART PHOTOGRAPHY を「写真」と呼ぶのは美術愛好家や一般の人々に正しい理解を促す阻害要因になっていると感じる。
また、プリント という言葉も一般には「印刷物」と混同されてアートとしての作品を普及させるのに阻害要因になっている。ARTと言う言葉の使い方も混乱を呼んでいるので、少し整理して新しい言葉使いを考えることが必要だと思っている。
今回の会期中に毎日のように繰り返される質問とコメントを書き留めておく。
- 写真展と聞いて来るのをためらいましたが、来てよかった。
- これは本当に「写真」ですか?今まで見た写真とかなり違って質感や柔らかさを感じますが・・・? 内容が立体的に見えますが、本当に平面なのですか?
- モノクロ写真でも色が感じられますが・・・?モノクロ写真は白と黒で表現すると思っていましたが、これはグレーの諧調が基になっていますね・・・?絵画や版画や墨絵と共通したものを感じます。
- どうしてモノクロなのですか?カラー写真は撮らないのですか?
- 作品を制作する時、内容をいろいろいじるのですか?例えば、電信柱を消すとか画像を貼り合わせて合成するとか・・
- 自分の手でフィルムの現像やプリントの制作をするのですか?それとも写真屋さんに焼いてもらうのですか?
- どんなカメラを使うのですか?デジタルですか、フィルムですか?印画紙は?機械を使って作品を作るのですか?
- 写真は作るのですか?カメラで撮るものではないのですか?
欧米と異なる日本での歴史から、FINE ART PHOTOGRAPHY を「写真」と呼ぶのは美術愛好家や一般の人々に正しい理解を促す阻害要因になっていると感じる。
また、プリント という言葉も一般には「印刷物」と混同されてアートとしての作品を普及させるのに阻害要因になっている。ARTと言う言葉の使い方も混乱を呼んでいるので、少し整理して新しい言葉使いを考えることが必要だと思っている。
MY STUDIO JOURNAL
"Photography is Life"