I will be exhibiting a few new prints processed from old negative films.
Since the prints are my current interpretation of the 40 year old images, the whole process makes me feel like going back to the past on my time machine. さんしんギャラリー 善 での展覧会が終って一息ついたら、もう伊豆高原アートフェスティバルが5月1日から始まるから忙しい。今回展示する作品は3月に展示しなかった内容も少し含めてみたいと思い、かなり昔のネガを探していたら、カリフォルニアのヨセミテで40年前(1976年)に撮影したものが出てきた。あまりにも昔のネガなのでフィルムが弱々しく、恐る恐るスキャンしてみたが、結果を見て驚いた。レンズはシャープではないが、諧調性が軟調でとても良い。当時はローライフレックスとゼンザブロニカを使っていたが、ネガの横に遮光版の光線漏れが見られるので、どうもブロニカで撮影したものらしい。あの頃はアンセルアダムスの表現を追いかけていた事を思い出す。今回展示する作品は過去のネガを現在の私が解釈して制作したものなので、画像調整をしているとタイムマシンに乗って時間を戻っていく感じがしてくる。もう一つ選んだ1990年代後半に撮影されたニューヨークのスナップからは、フィルムの粒状性が20年くらいの間に飛躍的に変化したことがよく分かる。ニューヨーク時代はローライフレックス(2眼)を中心に街の撮影していたが、ランドスケープには4x5や8x10の大判カメラもこの頃から使い始めている。デジタルによるモノクロームプリントを真剣に追求し始めたのもこの頃だ。2000年代に入ってサンタフェに移住してからは、大自然のサイズに圧倒されて大判フィルムカメラでの撮影が中心となった。最近はランドスケープには大判フィルムの代わりにデジタルバックを使い始めている。デジタル画像は、フィルムとは異なる現代的な表現ができるということがわかってきて興味深々だ。しかし、こうして昔撮影された画像を眺めてみると、時間をかけて感性が蓄積されたフィルム技術の味も大変心地よい。 今の写真環境は撮影から最終画像づくりまでの時間が短縮され、毎日大量の写真が目の前を流れていく。消費材としての写真づくりが膨らんでいくなかで、作家が一枚のイメージととことん向き合って感性を封じ込めて作り上げる作品は今まで以上に大切なものになってきているのではないだろうか。 Comments are closed.
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March 2021
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